役員の退職金は、会社の経営にとって大きな支出の一つですよね。まとまった現金を用意するのが大変な場合もあるかと思います。そんなとき、実は法人契約の生命保険を退職する役員個人に名義変更し、退職金として現物支給するという方法があるんです。この方法は、会社にとっては資金繰りの負担を軽減でき、役員個人にとっては税制上有利な「退職所得」として受け取れるというメリットがあります。ただし、保険の権利の評価額の計算や税務上の手続きには、専門的な知識と注意が必要です。この記事では、その仕組みから具体的な手続きまで、わかりやすく解説していきますね。
法人契約の生命保険を退職金として現物支給する仕組み
これは、会社が契約者となっている生命保険の「契約者」の名義を、退職する役員個人に変更する方法です。現金で退職金を支払う代わりに、生命保険という「権利」そのものを譲渡するイメージですね。これにより、会社は多額の現金を用意することなく、役員への退職金支払いを実行できます。退職後も役員の生命保障を継続できるという点も、喜ばれるポイントの一つです。
なぜ生命保険が退職金準備に使われるの?
そもそも、多くの企業が経営者の退職金準備に生命保険を活用しています。その理由は、経営者に万が一のことがあった場合の事業保障資金を確保しながら、同時に将来の退職金の原資を計画的に積み立てられるからです。特に、解約した際に戻ってくる「解約返戻金」があるタイプの保険は貯蓄性が高く、退職のタイミングに合わせてまとまった資金(の権利)を準備するのに適しているんですよ。
名義変更の基本的な流れ
実際に名義変更を行う際の手続きは、大きく分けて3つのステップで進みます。それぞれのステップで適切な処理を行うことがとても重要です。
- 取締役会での決議
役員退職金の支給額や、生命保険契約を現物支給することを正式に決定し、その内容を議事録として残します。 - 保険会社への手続き
保険会社所定の名義変更請求書などの書類を提出し、契約者を法人から役員個人へ変更します。 - 税務上の手続き
法人は退職金の支払いに関する経理処理を行い、役員個人は受け取った退職所得について、必要に応じて確定申告を行います。
現物支給のメリット・デメリット
この方法には良い点もあれば、注意すべき点もあります。両方を理解した上で検討することが大切です。
メリット | ・法人は一度に多額の現金を支出する必要がない ・役員は税制上優遇される「退職所得」として受け取れる ・退職後も役員の生命保障を個人で継続できる |
デメリット | ・保険の評価額の計算ルールが複雑 ・税制改正の影響を受ける可能性がある ・手続きを誤ると、予期せぬ追徴課税のリスクがある |
退職金の評価額はどう計算する?
生命保険を現物支給する際に最も重要なのが、その保険契約の権利をいくらと評価するか、という「評価額」の計算です。この評価額が、役員の退職金の額となり、税金の計算の基礎になります。計算ルールは少し複雑で、特に近年の税制改正で注意が必要なポイントがあります。
原則は「解約返戻金相当額」
基本的な考え方として、保険契約の権利の評価額は、名義変更時点の「解約返戻金相当額」とされています。もし、その時点で保険を解約したら受け取れるであろう金額が、その権利の時価である、という考え方ですね。2021年6月30日までの名義変更については、このルールが広く適用されていました。
【重要】2021年7月からのルール改正
しかし、一部の保険商品を利用して、実態よりも低い評価額で名義変更を行う節税スキームが問題視されたことから、2021年7月1日以降の名義変更については、新たなルールが設けられました。この改正により、特定の条件下では評価額の計算方法が変わるため、必ず確認が必要です。
評価額が「資産計上額」になるケース
ルール改正の対象となるのは、主に2019年7月8日以降に契約した定期保険や第三分野保険(医療保険など)です。これらの保険を名義変更する際に、もし「解約返戻金額」が法人の帳簿上で「資産計上されている額」の70%に満たない場合は、評価額の計算方法が変わります。
条件 | 評価額 |
解約返戻金額が、資産計上額の70%以上の場合 | 解約返戻金相当額(従来の原則通り) |
解約返戻金額が、資産計上額の70%未満の場合 | 資産計上額 |
つまり、解約返戻金が著しく低いタイミングでの名義変更であっても、法人が資産として計上してきた金額がそのまま評価額となる、ということです。このルール変更により、以前のような節税効果が得られなくなったケースがあるため、注意が必要です。
法人側の税務手続きと経理処理
保険契約の名義変更を行った法人側では、どのような経理処理と税務手続きが必要になるのでしょうか。正しく処理することで、退職金を損金として計上できます。
退職金として損金に算入する
法人は、先ほど計算した保険契約の「評価額」を、役員への退職金(役員退職慰労金)として費用計上します。この退職金は、税務上「損金」として認められるため、法人の課税所得を減らす効果があります。ただし、役員の功績に対して不相当に高額な部分については、損金として認められない可能性もあるため、役員退職慰労金規程などに基づいて適切な金額を支給することが重要です。
資産計上額との差額の処理
法人が保険料を支払っていた際、その一部は保険料積立金などとして資産に計上されています。名義変更時には、この資産計上額と、退職金として計上する評価額との間に差額が生じることがあります。この差額は、以下のように処理します。
- 評価額 > 資産計上額 の場合
差額は「雑収入」として、法人の利益(益金)になります。 - 評価額 < 資産計上額 の場合
差額は「雑損失」として、法人の損失(損金)になります。
例えば、資産計上額が800万円の保険契約を、評価額1,000万円で退職金として現物支給した場合、法人は退職金1,000万円を損金とし、資産計上額800万円を取り崩します。そして、差額の200万円は雑収入として計上することになります。
役員個人側の税務手続きと注意点
次に、保険契約を受け取った役員個人側の税金について見ていきましょう。現金でもらっていなくても、経済的な利益を受けたとして所得税の対象となります。
退職所得として申告する
役員が受け取った保険契約の権利(評価額)は、「退職所得」として扱われます。退職所得は、長年の功労に報いるためのお金という性質から、給与所得など他の所得に比べて税制上、非常に優遇されているのが特徴です。
退職所得控除の大きなメリット
退職所得の最大のメリットは、「退職所得控除」という大きな控除枠があることです。控除額は勤続年数に応じて計算され、この額までは税金がかかりません。
勤続年数 | 退職所得控除額 |
20年以下 | 40万円 × 勤続年数 (80万円に満たない場合は80万円) |
20年超 | 800万円 + 70万円 × (勤続年数 - 20年) |
例えば、勤続30年の役員の場合、800万円 + 70万円 × (30年 – 20年) = 1,500万円もの控除が受けられます。
課税所得の計算方法
退職所得の課税対象となる金額は、以下の式で計算されます。
(収入金額(保険の評価額) - 退職所得控除額) × 1/2 = 課税退職所得金額
このように、控除額を引いた残りの金額をさらに半分にしてから税額を計算するため、税負担がかなり軽減されます。また、他の所得とは合算せずに税額を計算する「分離課税」なので、所得が高い方でも有利になることが多いのです。
※ただし、役員としての勤続年数が5年以下の場合は、上記の1/2計算の適用はありませんのでご注意ください。
名義変更後に役員個人が注意すべき税金
保険の名義変更を受け、退職所得として一度課税関係が完了しても、その後の保険の活用方法によっては、さらに税金が発生する可能性があります。
保険を解約して解約返戻金を受け取った場合
名義変更後に役員個人がその保険を解約し、解約返戻金を受け取った場合、その利益は「一時所得」として所得税の対象となります。一時所得の金額は、受け取った解約返戻金から、その保険を得るためにかかった費用(退職所得として課税された評価額や、名義変更後に自分で支払った保険料など)を差し引き、さらに特別控除50万円を引いて計算します。そして、その残額の1/2が課税対象となります。
被保険者が死亡して保険金を受け取った場合
もし被保険者である元役員が亡くなり、遺族が死亡保険金を受け取った場合は、その保険金は「みなし相続財産」として相続税の課税対象になります。ただし、生命保険金には「500万円 × 法定相続人の数」という非課税枠が設けられており、この枠内の金額については相続税がかかりません。これは、遺されたご家族の生活保障という大切な役割を担うための税制上の配慮です。
入院給付金などを受け取った場合
名義変更後、病気やケガで入院・手術をして、保険から給付金を受け取ることがあるかもしれません。このような入院給付金や手術給付金、通院給付金などは、身体の傷害に起因して支払われるものとして、所得税は非課税となっています。いくら受け取っても税金の心配はいりません。
まとめ
法人契約の生命保険を退職する役員に名義変更して退職金として支給する方法は、法人の資金繰りと役員の退職後の生活設計の両面でメリットのある、とても有効な手段です。特に、税制上優遇されている退職所得として扱われる点は大きな魅力と言えるでしょう。
一方で、その評価額の計算方法は2021年のルール改正によって複雑になっています。特に、2019年7月8日以降に契約した保険の名義変更を検討する場合は、解約返戻金額と資産計上額をしっかり確認し、どちらの評価額が適用されるかを慎重に判断する必要があります。
手続きを一つ間違えるだけで、予期せぬ多額の税金が発生してしまうリスクも潜んでいます。この方法を検討される際には、必ず顧問税理士などの専門家と相談しながら、計画的に進めていくことを強くおすすめします。
参考文献
国税庁 No.1755 生命保険契約に係る満期保険金等を受け取ったとき
法人保険の役員退職金活用に関するよくある質問まとめ
Q.法人契約の生命保険を役員退職金として名義変更する場合、退職金の金額はどう計算しますか?
A.退職時の解約返戻金相当額が、退職金の額(現物支給額)として評価されます。この金額が役員退職慰労金規程で定められた適正額の範囲内であることが重要です。
Q.名義変更した生命保険は、役員の所得としてどのように課税されますか?
A.解約返戻金相当額が「退職所得」として扱われます。退職所得は他の所得と分離して課税され、退職所得控除が適用されるため、税負担が軽減されるメリットがあります。
Q.会社側(法人側)の税務上のメリットはありますか?
A.はい、あります。役員に名義変更した保険の解約返戻金相当額を、役員退職金として損金算入できます。これにより、法人の課税所得を圧縮する効果が期待できます。
Q.生命保険を退職金として現物支給する際、どのような手続きが必要ですか?
A.まず、株主総会または取締役会で退職金の支給決議を行います。その後、保険会社に「契約者名義変更」の手続きを依頼し、契約者を法人から退職する役員個人へ変更します。
Q.退職金の額が解約返戻金を上回る場合、差額はどうなりますか?
A.退職金の総額(決議額)が保険の解約返戻金相当額を上回る場合は、差額を現金で支給するのが一般的です。合計額が役員退職金として扱われます。
Q.名義変更後の保険料の支払いはどうなりますか?
A.名義変更後は、保険契約者が役員個人になるため、その後の保険料は役員個人が支払うことになります。法人による支払いはできません。