医療法人の理事長先生の相続対策というと、どうしても高額になりがちな「出資持分」にばかり目が行きがちですよね。でも、実はもう一つ、決して見過ごせない重要な相続財産があります。それが、理事長先生の個人名義になっている診療所の土地や建物などの不動産です。
クリニックの敷地が法人名義ではなく、先生個人の所有になっているケースは意外と多いものです。これらの不動産も当然、相続財産として評価され、高額な相続税の原因となります。後継者であるご家族が納税資金に困ったり、スムーズな事業承継の妨げになったりしないよう、出資持分とあわせてしっかりと対策を考えておくことが大切です。この記事では、そんな見落としがちな個人所有不動産の相続対策について、評価方法や使える特例などを中心に、わかりやすくお話ししていきます。
医療法人の相続で見落としがちな「個人所有不動産」
なぜ、医療法人の相続対策において個人所有の不動産が重要なのでしょうか。まずは、その背景と潜在的なリスクから見ていきましょう。
なぜ診療所の敷地が個人所有のままなのか?
「そもそも、なぜ法人の事業で使っている土地が個人名義のままなの?」と疑問に思われるかもしれませんね。これには、いくつかの典型的な理由があります。
一番多いのは、医療法人を設立した当初、個人で所有していた土地と建物をそのまま法人に貸し付けて事業をスタートした、というケースです。法人に不動産を移す(売却する)には多額の資金が必要になるため、まずは個人から借りるという形で運営を始めることが多いのです。また、将来的にクリニックを移転したり、土地を売却したりする可能性を考えて、あえて個人の資産として手元に残しておく、という判断をされた先生もいらっしゃるでしょう。理由はどうあれ、この「個人から法人への貸付」という形が、相続の際に少し複雑な問題を生むことがあるのです。
個人所有不動産が引き起こす相続問題
理事長先生がお持ちの診療所の敷地は、相続が発生すると誰かが引き継ぐことになります。このとき、誰が相続するかによって、さまざまな問題が起こる可能性があります。
例えば、クリニックを継ぐ後継者のお子様が土地も相続する場合。不動産の評価額が高ければ、出資持分と合わせて非常に高額な相続税がかかり、納税資金の準備に苦労するかもしれません。
さらに深刻なのは、後継者ではないご兄弟などが土地を相続するケースです。その相続人から「地代を値上げしてほしい」と言われたり、最悪の場合、「この土地を売りたいから出ていってほしい」と立ち退きを求められたりするリスクもゼロではありません。そうなってしまうと、クリニックの経営そのものが揺らいでしまいますよね。こうした事態を避けるためにも、誰がどの財産を相続するのか、そしてその税負担はどうなるのかを事前にシミュレーションし、対策を立てておくことが不可欠なのです。
診療所敷地など個人所有不動産の相続税評価
相続対策を考える上で、まず知っておきたいのが「相続税評価額」です。不動産が相続財産としていくらの価値になるのか、その計算方法の基本を押さえておきましょう。
土地の評価方法 – 路線価方式と倍率方式
土地の評価方法は、その土地が面している道路に「路線価」が設定されているかどうかで決まります。路線価とは、国税庁が毎年公表する道路ごとの1平方メートルあたりの価格のことです。
評価方式 | 内 容 |
路線価方式 | 市街地的な形態を形成する地域にある土地の評価方法です。「路線価 × 各種補正率 × 面積」で計算します。土地の形や奥行き、角地かどうかなどで評価額が補正されます。 |
倍率方式 | 路線価が定められていない地域の土地の評価方法です。「固定資産税評価額 × 国税庁が定める倍率」で計算します。比較的シンプルに評価額を算出できます。 |
ご自身のクリニックの土地がどちらの方式で評価されるかは、国税庁のウェブサイトで確認できます。
建物の評価方法 – 固定資産税評価額
建物の評価は土地よりもずっとシンプルです。原則として、建物の固定資産税評価額がそのまま相続税評価額となります。固定資産税評価額は、毎年春ごろに市区町村から送られてくる「固定資産税納税通知書」に記載されていますので、一度確認してみてください。
相続税を大幅に軽減!「小規模宅地等の特例」の活用
さて、ここからが本題です。診療所の敷地のように事業に使われている土地には、相続税の負担を劇的に軽くできる「小規模宅地等の特例」という非常に強力な制度があります。この特例を使えるかどうかで、納税額が数千万円単位で変わることも珍しくありません。
特定事業用宅地等とは?
小規模宅地等の特例にはいくつかの種類がありますが、診療所の敷地が該当するのは主に「特定事業用宅地等」です。これは、亡くなった方(被相続人)やその方と生計を一つにしていた親族が事業に使っていた宅地を指します。理事長先生が個人で所有し、ご自身の医療法人の事業のために使わせていた土地も、一定の要件を満たせばこの特例の対象になります。
減額割合と面積の上限
この特例のすごいところは、その減額率の高さにあります。特定事業用宅地等に該当すると、なんと400平方メートルまでの部分について、土地の評価額を80%も減額してくれるのです。例えば、評価額が1億円の土地でも、この特例を使えれば2,000万円として相続税を計算できることになります。その効果の大きさがお分かりいただけるかと思います。
誰が相続すれば適用できる? – 主な要件
ただし、こんなに有利な特例ですから、誰でも使えるわけではありません。主に以下のような要件を満たす必要があります。
要 件 | 内 容 |
事業の承継 | その土地を相続した親族が、亡くなった方の事業を引き継ぐこと。医療法人の場合は、後継者として理事長に就任するお子様などが該当します。 |
事業の継続 | 相続税の申告期限(相続開始を知った日の翌日から10ヶ月以内)まで、その引き継いだ事業を継続して営んでいること。 |
宅地の保有 | 相続税の申告期限まで、その土地を保有し続けていること。途中で売却してしまうと特例は使えません。 |
これらの要件を満たす後継者が土地を相続することで、初めて80%減額のメリットを享受できます。遺言などで後継者以外の方に土地を遺してしまうと、この特例が使えず多額の相続税が発生する可能性があるので、注意が必要です。
医療法人に貸している土地の評価と注意点
理事長先生個人が所有する土地を、ご自身の医療法人に貸しているケースは非常に多いです。この場合の土地の評価や特例の適用には、いくつか注意すべきポイントがあります。
「相当の地代」を収受している場合の評価
もし、医療法人から「相当の地代」を受け取っている場合、その土地は「貸宅地」として評価が少し下がるのではなく、「自用地(更地)」として100%の評価になります。「相当の地代」とは、一般的にその土地の過去3年間の自用地評価額の平均の年6%程度とされており、かなり高額です。この場合でも、後継者が相続して事業を継続するなどの要件を満たせば、小規模宅地等の特例(特定事業用宅地等)の適用は可能です。
無償または低額な地代の場合の評価
実際には、法人から受け取る地代は固定資産税相当額など、低額なケースがほとんどではないでしょうか。このように無償または非常に低い地代で土地を貸している状態は、税務上「使用貸借」と判断されます。使用貸借で貸している土地も、相続税評価上は「相当の地代」を受け取っている場合と同じく、「自用地」として100%で評価されます。
「え、評価が下がらないの?」とがっかりされるかもしれませんが、ご安心ください。この場合でも、小規模宅地等の特例は使えます。
小規模宅地等の特例適用のためのポイント
個人所有の土地をご自身の医療法人に貸している場合、小規模宅地等の特例(この場合は「特定同族会社事業用宅地等」という区分になります)を適用するためには、追加の要件があります。それは、亡くなった理事長先生とその親族で、その医療法人の出資持分(または株式)の総数の50%超を保有していることです。
つまり、実質的に個人事業と変わらないような同族経営の医療法人であれば、その事業に使われている理事長個人の土地も、事業用の土地として特例の対象と認められる、ということです。多くのオーナー理事長のクリニックでは、この要件は満たしていることが多いでしょう。
生前からの対策も重要
相続は、亡くなってから慌てて対応するよりも、元気なうちから計画的に準備を進めることが何より大切です。個人所有不動産についても、生前からできる対策があります。
生前贈与の活用
将来的にクリニックを継ぐことが決まっているお子様へ、土地を生前に贈与しておくという方法があります。特に「相続時精算課税制度」を利用すると、2,500万円までの贈与には贈与税がかからず、超えた部分も一律20%の税率で済みます(この贈与財産は相続時に相続財産に加算されます)。さらに、令和6年1月1日以降の贈与からは、この制度を選択しても年間110万円の基礎控除が別に使えるようになり、より活用しやすくなりました。ただし、不動産の贈与には登録免許税や不動産取得税といったコストがかかる点も忘れてはいけません。
土地の法人への売却
医療法人に資金的な余裕があれば、理事長個人から適正な時価で土地を買い取ってもらう、という選択肢もあります。理事長個人には土地を売ったことによる譲渡所得税がかかりますが、個人の相続財産を現金化し、減らすことができます。これにより、相続税の総額を抑えたり、納税資金を確保したりする効果が期待できます。大切なのは、親族間だからと安く売るのではなく、必ず専門家が算定した「時価」で取引することです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。医療法人の相続対策は、ついに出資持分の評価額とその対策にばかり気を取られがちですが、診療所の敷地など理事長先生の個人所有不動産も、事業承継の成否を分ける極めて重要な財産です。
特に「小規模宅地等の特例」は、相続税負担を最大80%も軽減できる非常に強力な制度ですが、適用要件が細かく定められており、誰が相続するかによって使えるかどうかが決まります。遺言の作成や生前贈与など、他の対策と組み合わせて総合的に検討することが不可欠です。
円滑な事業承継を実現し、大切なご家族が相続で困ることのないよう、ぜひお元気なうちから税理士などの専門家にご相談ください。ご自身のクリニックの状況に合わせた最適な対策プランを、一緒に考えていきましょう。
参考文献
医療法人 相続対策(不動産編)のよくある質問まとめ
Q. 院長個人が所有する診療所の土地や建物も、出資持分とは別に相続財産になるのですか?
A. はい、なります。院長先生個人名義の土地や建物は、医療法人の出資持分とは全く別の相続財産として扱われます。これらは個人の財産として相続税の課税対象となるため、別途評価と対策が必要です。
Q. 医療法人に貸している診療所の敷地について、相続税が安くなる特例はありますか?
A. はい、「小規模宅地等の特例」が適用できる可能性があります。一定の要件を満たせば、事業用の宅地として評価額を最大80%減額できます。ただし、相続人が事業を引き継ぐことなどが条件となるため、専門家への相談が不可欠です。
Q. 診療所の敷地の相続税評価額はどのように決まるのですか?
A. 主に「路線価方式」または「倍率方式」で評価されます。路線価が定められている地域の土地は路線価を基に計算し、それ以外の地域では固定資産税評価額に一定の倍率を乗じて計算します。法人に貸している場合は、さらに賃貸借契約の内容を考慮して評価額が調整されます。
Q. 院長が医療法人に土地を無償で貸している場合、相続税評価に影響はありますか?
A. はい、大きく影響します。土地を無償(使用貸借)で貸している場合、その土地は更地と同じ「自用地」として100%の評価額で計算されます。賃料を受け取っている場合と比べて評価額が高くなり、相続税額が高額になる可能性があります。
Q. 院長個人の自宅と診療所が同じ敷地にある場合、小規模宅地等の特例はどうなりますか?
A. 自宅部分には「特定居住用宅地等」、診療所部分には「特定事業用宅地等」として、それぞれ特例を適用できる可能性があります。ただし、適用できる面積には上限があり(特定事業用400㎡、特定居住用330㎡)、両方合わせて最大730㎡までとなります。
Q. 相続対策として、診療所の土地を個人から医療法人へ売却するのは有効ですか?
A. 有効な手段の一つです。個人から法人へ土地を売却することで、相続財産を現金化し、納税資金の確保や遺産分割がしやすくなります。ただし、法人側の資金調達や、個人への譲渡所得税の発生など、考慮すべき点も多いため慎重な検討が必要です。