クリニックや病院を経営されている理事長先生やそのご家族の皆様、「うちは医療法人だから相続は関係ない」と思っていませんか?もし、先生の法人が「持分あり医療法人(経過措置医療法人)」であれば、将来、ご家族に数千万円、場合によっては数億円もの莫大な相続税がかかってしまう可能性があります。これは決して大げさな話ではありません。気づいた時には手遅れ…とならないよう、その仕組みとリスク、そして今からできる具体的な対策について、一緒に見ていきましょう。
持分あり医療法人(経過措置医療法人)とは?
まずは、「持分あり医療法人」がどのようなものか、基本から確認していきましょう。なぜ「経過措置」と呼ばれるのか、その理由を知ることがリスクを理解する第一歩になります。
持分あり医療法人の仕組み
持分あり医療法人とは、株式会社でいう「株式」のように、出資者がその出資額に応じて「出資持分」という権利を持っている法人のことです。この出資持分には財産的な価値があり、出資者は法人に対して、退社時に出資持分に応じた払戻しを請求したり、法人が解散したときに残った財産を分配してもらったりする権利を持っています。
なぜ「経過措置医療法人」と呼ばれるの?
実は、この持分あり医療法人は、2007年4月1日の医療法改正によって、新しく設立することができなくなりました。これは、医療の非営利性をより徹底するという目的のためです。しかし、それ以前に設立されていた持分あり医療法人がすぐになくなるわけではなく、当分の間、そのままの形態で存続することが認められています。この「経過的な措置」として存続していることから、「経過措置医療法人」とも呼ばれているのです。
持分なし医療法人との違い
現在、新たに設立できるのは「持分なし医療法人」のみです。両者の最も大きな違いは、その名の通り「出資持分の有無」にあります。この違いが、相続に大きな影響を与えます。
項目 | 持分あり医療法人 |
出資持分 | あり(出資者に財産権が帰属) |
相続 | 出資持分が相続財産となる |
払戻請求権 | あり |
項目 | 持分なし医療法人 |
出資持分 | なし(法人の財産は誰のものでもない) |
相続 | 相続財産になるものはない |
払戻請求権 | なし |
持分あり医療法人の相続税リスク
ここからが本題です。なぜ持分あり医療法人が高い相続税リスクを抱えているのか、その具体的な理由を3つのポイントに分けて詳しくご説明します。
出資持分が相続財産になる
最大のリスクは、理事長先生(出資者)がお亡くなりになった際、その方が所有していた「出資持分」が相続財産として、相続税の課税対象になることです。これは預貯金や不動産と同じように扱われます。持分なし医療法人にはこのリスクが全くないため、決定的な違いと言えます。
出資持分の評価額が高額になりやすい理由
相続税を計算する際の出資持分の価値は、出資した当初の金額(例えば500万円)ではありません。相続が発生した時点の「時価」で評価されます。医療法人は、利益を配当せずに内部に蓄積(内部留保)していく傾向が強いため、長年経営を続けていると、法人の純資産が雪だるま式に増えていきます。その結果、当初の出資額からは想像もつかないほど評価額が跳ね上がり、数千万円から数億円に達することも珍しくないのです。
相続税が払えない「納税資金問題」
もし出資持分の評価額が1億円となり、他の財産と合わせて多額の相続税が発生したとします。しかし、この「出資持分」は上場株式のように市場で簡単に売却して現金に換えることはできません。評価額は非常に高いのに、手元には納税するための現金がない…という「納税資金問題」に直面するケースが後を絶ちません。最悪の場合、相続したクリニックの土地建物を売却して納税せざるを得ない状況に追い込まれる可能性もあります。
出資持分の評価方法
では、その高額になりがちな出資持分は、具体的にどのように評価されるのでしょうか。専門的な内容になりますが、基本的な考え方を知っておくことが対策を立てる上で重要です。
原則的な評価方法(類似業種比準価額方式・純資産価額方式)
出資持分の評価は、基本的に非上場株式の評価方法に準じて行われます。主に以下の2つの方法が使われます。
類似業種比準価額方式 | 事業内容が類似する上場企業の株価を基に、配当・利益・純資産の3つの要素を比較して評価する方法です。 |
純資産価額方式 | 相続開始時点での法人の総資産を時価で評価し、そこから負債を差し引いた純資産額を基に評価する方法です。内部留保が多い医療法人は、この方式では評価額が高くなる傾向があります。 |
どちらの方式を使うかは、法人の規模などによって決まりますが、これらの方法で計算された評価額が相続税の基礎となります。
特例的な評価方法
特定の要件を満たす場合には、特例として「配当還元方式」という評価方法が使えることがあります。これは、過去の配当実績を基に評価する方法で、一般的に類似業種比準価額方式や純資産価額方式よりも評価額を低く抑えることができます。ただし、適用できるケースは限られているため、専門家への確認が必要です。
相続税リスクへの具体的な対策
ここまでリスクについてお話してきましたが、もちろん対策はあります。大切なのは、「生前のうちに対策を始めること」です。手遅れになる前に、考えられる具体的な対策を見ていきましょう。
生前に出資持分を贈与する
相続税対策の基本である生前贈与は、出資持分にも有効です。例えば、後継者であるご子息へ、毎年110万円の基礎控除の範囲内で少しずつ出資持分を贈与していく「暦年贈与」という方法があります。また、「相続時精算課税制度」を利用して、最大2,500万円までの贈与を非課税にすることも可能です。ただし、評価額そのものが非常に高い場合、これらの方法だけでは効果が限定的になる点には注意が必要です。
退職金で出資持分の評価額を下げる
これは非常に効果的な対策の一つです。理事長先生が退職する際に、法人から適正な額の退職金を支払います。退職金は法人の経費(損金)となるため、法人の純資産が減少し、結果として出資持分の評価額を引き下げることができます。受け取る側も、退職金は税制上優遇されている「退職所得控除」を使えるため、大きな節税効果が期待できます。
持分なし医療法人へ移行する
最も根本的で確実な解決策が、「持分なし医療法人」へ移行することです。移行してしまえば、出資持分そのものがなくなるため、将来にわたって相続税の心配をする必要がなくなります。ただし、メリットだけでなくデメリットもあるため、慎重な検討が必要です。
持分なし医療法人へ移行するメリット・デメリット
根本的な解決策である「持分なし医療法人」への移行。そのメリットと、知っておくべきデメリットや注意点について解説します。
移行のメリット
最大のメリットは、これまでお話ししてきた相続税のリスクから完全に解放されることです。また、一定の要件を満たして「認定医療法人」として国から認定を受けることで、移行時に発生しうる税金の負担を回避できる制度も用意されています。
相続税リスクの完全な解消 | 出資持分という概念がなくなるため、将来の相続でご家族が悩むことはありません。 |
税制優遇措置の活用 | 認定医療法人の認定を受ければ、移行時にみなし贈与税などが課税されることなく、スムーズに移行できます。(※認定期間:令和8年12月31日まで) |
事業承継の円滑化 | 相続トラブルの原因となる財産がなくなるため、後継者へのスムーズなバトンタッチが実現しやすくなります。 |
移行のデメリットと注意点
一方で、デメリットもしっかり理解しておく必要があります。特に、財産権を放棄することになる点は大きな決断となります。
財産権の放棄 | 移行すると、出資者は払戻請求権や残余財産分配請求権をすべて失います。つまり、法人の財産は個人のものではなくなります。 |
手続きの煩雑さ | 移行計画を作成し、厚生労働大臣の認定を受け、都道府県の認可を得るなど、手続きが複雑で時間と専門知識を要します。 |
贈与税のリスク | 万が一、認定医療法人の認定を受けずに移行した場合、他の出資者に対して、放棄された持分が贈与されたとみなされ、高額な贈与税が課されるリスクがあります。 |
まとめ
持分あり医療法人(経過措置医療法人)の出資持分は、放置すると将来ご家族に大きな負担を強いる「隠れた負債」になりかねません。法人の業績が好調であるほど、その評価額は上昇し続け、相続税のリスクも高まっていきます。
しかし、今回ご紹介したように、生前のうちであれば、退職金の活用や持分なし法人への移行など、有効な対策を打つことが可能です。どの対策が最適かは、法人の状況や理事長先生のお考えによって大きく異なります。出資持分の評価や税制の適用には、非常に専門的な知識が必要です。少しでもご不安に感じられたら、ぜひお早めに相続に詳しい税理士などの専門家にご相談ください。ご家族と大切なクリニックを守るための第一歩を、今から踏み出しましょう。
参考文献
持分あり医療法人(経過措置医療法人)の相続税リスクに関するよくある質問
Q.なぜ持分あり医療法人は相続税が高額になるのですか?
A.医療法人の純資産額が出資持分の評価額となり、それが相続財産に含まれるためです。長年の経営で内部留保や不動産価値が増加していると、出資持分の評価額が購入時よりはるかに高騰し、多額の相続税が課されるリスクがあります。
Q.持分あり医療法人の出資持分はどのように評価されるのですか?
A.原則として、国税庁の財産評価基本通達にある「取引相場のない株式等の評価」に準じて評価します。具体的には、類似業種比準価額方式や純資産価額方式などを用いて計算され、法人の資産状況によって評価額は大きく変動します。
Q.経過措置医療法人とは何ですか?
A.平成19年の医療法改正以前に設立された「持分あり医療法人」のことです。法改正により新たに「持分あり医療法人」は設立できなくなりましたが、既存の法人は当分の間、経過措置として存続が認められています。そのため相続・事業承継の問題を抱えているケースが多くあります。
Q.持分あり医療法人の相続税対策にはどのようなものがありますか?
A.主な対策として、①退職金支給による出資持分評価額の引き下げ、②生命保険の活用、③持分なし医療法人への移行、④認定医療法人制度の活用などがあります。どの対策が最適かは法人の状況により異なるため、専門家への相談をおすすめします。
Q.「持分なし医療法人」へ移行するメリットは何ですか?
A.最大のメリットは、出資持分の概念がなくなるため、将来的に相続税や贈与税の課税対象から外れる点です。これにより、後継者への事業承継がスムーズになり、相続税リスクを根本的に解消できます。ただし、移行時に贈与税が課される可能性があるため注意が必要です。
Q.相続が発生した場合、相続人はどのような手続きが必要ですか?
A.相続人は、被相続人の出資持分を相続財産として相続税の申告・納税が必要です。また、出資持分を相続しただけでは社員(出資者)としての地位は承継されず、定款の定めに従い、他の社員の同意を得て入社手続きを行う必要があります。