お父様が亡くなられ、お母様と実家の今後について考えられていることとお察しいたします。相続はご家族にとって非常に大切な問題ですよね。そんな中、「実家を賃貸アパートに建て替えると相続対策になる」という話を聞いたことがあるかもしれません。確かにお母様名義で借り入れをして賃貸アパートを建築することは、相続税を大きく減らせる可能性がある有効な手段の一つです。しかし、メリットだけを見て安易に進めてしまうと、思わぬ落とし穴にはまってしまうことも。この記事では、この方法がなぜ相続対策になるのか、具体的なメリットと、必ず知っておくべき留意点について、わかりやすく解説していきます。
なぜ母名義の借入と賃貸アパート建築が相続対策になるの?
相続税は、亡くなった方の財産の総額が大きければ大きいほど、税率も高くなる仕組みです。そのため、相続対策の基本は「相続財産の評価額を下げる」ことになります。お母様名義で借り入れをして賃貸アパートを建てると、主に3つの効果によって財産の評価額を大きく下げることができるのです。
借入金による「債務控除」の効果
相続財産を計算するとき、現金や不動産といったプラスの財産だけでなく、借入金などのマイナスの財産も合算します。お母様名義でアパート建築のために金融機関から借り入れたお金は「債務」として扱われ、プラスの財産全体から差し引くことができます。これを債務控除といいます。例えば、8,000万円を借り入れた場合、相続財産から8,000万円をマイナスできるため、課税対象となる財産を大きく圧縮できるのです。
現金が不動産に変わることで評価額が下がる仕組み
もし手持ちの現金でアパートを建てた場合でも、相続税対策としての効果があります。現金は1億円あればそのまま1億円と評価されますが、そのお金で建物を建てると評価の仕方が変わります。建物の相続税評価額は、実際に建てた金額(建築費)ではなく、固定資産税評価額を基に計算されます。この固定資産税評価額は、一般的に建築費の約60%~70%程度になることが多いです。つまり、8,000万円の現金でアパートを建てた瞬間に、その資産の評価額は約4,800万円~5,600万円程度に下がり、これだけで2,400万円以上の資産圧縮効果が期待できるのです。
土地と建物の評価額がさらに下がる「貸家」「貸家建付地」評価
アパートを建築し、第三者に部屋を貸し出すと、土地と建物の評価額はさらに下がります。ご自身で自由に使える不動産と比べて、入居者がいることで利用に制限がかかるためです。
- 建物:ご自身で使う「自用家屋」ではなく、人に貸す「貸家」となり、固定資産税評価額から全国一律で30%が控除されます。
- 土地:更地(自用地)ではなく、貸家の敷地である「貸家建付地(かしやたてつけち)」となり、評価額が下がります。
貸家建付地の評価額は以下の計算式で求められます。
自用地評価額 × (1 – 借地権割合 × 借家権割合 × 賃貸割合)
例えば、借地権割合が60%、借家権割合が30%の地域で、アパートが満室(賃貸割合100%)の場合、土地の評価額は「1 – (0.6 × 0.3 × 1.0) = 0.82」となり、約18%も評価額が下がります。
相続税はどれくらい安くなる?具体例でシミュレーション
では、実際にどれくらいの節税効果があるのでしょうか。簡単なモデルケースで比較してみましょう。
【前提条件】
・相続人:子1人
・相続財産:実家の土地(評価額8,000万円)、現金2,000万円
・アパート建築費:8,000万円(全額母名義で借入)
・相続税の基礎控除額:3,000万円 + (600万円 × 1人) = 3,600万円
対策前:現金と実家(土地)をそのまま相続した場合
何もしなかった場合の相続税を計算してみましょう。
| 財産の内訳 | 評価額 |
| 土地(自用地評価) | 8,000万円 |
| 現金 | 2,000万円 |
| 相続財産 合計 | 1億円 |
| 課税遺産総額 (合計 – 基礎控除) | 1億円 – 3,600万円 = 6,400万円 |
| 相続税額 | 約1,220万円 |
対策後:母名義の借入でアパートを建てて相続した場合
次に、8,000万円を借り入れてアパートを建てた場合の相続税を計算します。
| 財産の内訳 | 評価額 |
| 土地(貸家建付地評価) | 6,560万円 (※1) |
| 建物(貸家評価) | 3,360万円 (※2) |
| 現金 | 2,000万円 |
| 借入金(債務控除) | ▲8,000万円 |
| 相続財産 合計 | 3,920万円 |
| 課税遺産総額 (合計 – 基礎控除) | 3,920万円 – 3,600万円 = 320万円 |
| 相続税額 | 約32万円 |
※1 8,000万円×(1-借地権割合60%×借家権割合30%)=6,560万円で計算
※2 建築費8,000万円×固定資産税評価額割合60%×(1-借家権割合30%)=3,360万円で計算
このシミュレーションでは、相続税額が1,220万円から32万円へと、約1,188万円も軽減される結果となりました。あくまで簡単な計算ですが、その効果の大きさがお分かりいただけると思います。
メリットは相続税対策だけじゃない!賃貸アパート経営の利点
この対策には、相続税の節税以外にもいくつかのメリットが考えられます。
定期的な家賃収入で母の生活費を確保
アパート経営が順調にいけば、お母様の年金以外の安定した収入源になります。これは、将来の生活費や介護費用への備えとなり、経済的な安心につながります。家賃収入は、お母様ご自身の生活を豊かにするだけでなく、将来の相続税の納税資金として貯めておくことも可能です。
遺産分割がしやすくなる可能性
相続人が複数いる場合、「実家」という一つの不動産を分けるのは非常に難しい問題です。しかし、賃貸アパートという収益を生む資産に変わることで、例えば「家賃収入を相続人で分ける」「将来的に法人化して株式で分ける」といった選択肢が生まれ、公平な遺産分割がしやすくなる可能性があります。
団体信用生命保険によるローン返済免除
お母様がローンを組む際に団体信用生命保険(団信)に加入できれば、万が一お母様が亡くなられた場合、保険金でローン残高がすべて完済されます。つまり、相続人は借金のない収益アパートを引き継ぐことができるのです。これは、残された家族にとって非常に大きな安心材料となります。
【最重要】母名義の借入とアパート経営で注意すべき5つの留意点
ここまでは良い面に焦点を当ててきましたが、この相続対策は大きなリスクも伴います。以下の留意点を必ず理解し、慎重に検討することが何よりも重要です。節税額以上に損をしてしまう可能性も十分にあります。
空室・家賃下落のリスク
アパート経営の最大のリスクです。新築時は人気があっても、建物が古くなれば家賃は下落し、空室も増えるのが一般的です。周辺に新しい競合アパートが建てば、状況はさらに厳しくなります。「家賃保証(サブリース)」という契約もありますが、保証される家賃は数年ごとに見直され、減額されるケースがほとんどです。安易な収支計画は非常に危険です。
修繕費・管理費などのランニングコスト
家賃収入がそのまま利益になるわけではありません。固定資産税や都市計画税、管理会社への委託料、火災保険料などが毎年かかります。さらに、10年~15年に一度は、外壁塗装や屋根の防水工事、給排水管の更新といった数百万円規模の大規模修繕が必要になります。これらの費用を考慮せずに計画を立てると、資金繰りが一気に悪化します。
金利上昇のリスク
現在は歴史的な低金利ですが、今後、金利が上昇する可能性はゼロではありません。変動金利でローンを組んでいる場合、金利が上がれば毎月の返済額が増え、収支計画が大きく狂ってしまいます。長期にわたる返済計画だからこそ、金利上昇リスクは常に念頭に置く必要があります。
借入金の返済が進むと節税効果が薄れる
実は、この相続対策の節税効果が最も高いのは、借入金が最も多い「建築直後」です。ローンの返済が進むにつれて借入残高(債務控除額)は減っていきます。一方で、家賃収入によってお母様の手元に現金が貯まっていくと、その現金が新たな相続財産となり、結果的に相続税が増えてしまうこともあります。これを「長生きリスク」と呼ぶこともあります。
相続時の「共有名義」トラブル
相続人が複数いる場合、アパートを共有名義で相続すると、将来のトラブルの火種になりかねません。「売却したい」「大規模修繕をしたい」といった重要な意思決定の際に、共有者全員の同意が必要となり、意見が対立して何も決められない「塩漬け不動産」になってしまうリスクがあります。いわゆる「争族」に発展しやすい典型的なパターンです。
誰の名義で借りるべき?母名義 vs 子名義
今回のテーマである「母名義」での借り入れには、どのような特徴があるのでしょうか。比較してみましょう。
| 項目 | 母名義で借りる場合 | 子名義で借りる場合 |
| 相続税の債務控除 | 適用できる(最大のメリット) | 適用できない |
| ローン審査 | 年齢や健康状態により厳しくなる | 収入など条件を満たせば通りやすい |
| 団体信用生命保険 | 年齢や健康状態により加入できない場合がある | 加入しやすい |
| 土地建物の権利関係 | 土地も建物もお母様名義でシンプル | 親の土地に子が建物を建てることになり、権利関係(使用貸借など)が複雑化しやすい |
相続税対策を主目的とするなら、債務控除が使える「母名義」が基本となります。しかし、お母様のご年齢によってはローン審査が通らなかったり、団信に加入できなかったりする可能性があります。また、もしお母様が認知症になってしまうと、資産が凍結され、アパートの管理や修繕、売却などができなくなるリスクも考慮する必要があります。
まとめ
お母様名義で借り入れをして実家を賃貸アパートにすることは、シミュレーションで見たように、相続税を劇的に減らせる可能性がある強力な対策です。しかし、それはあくまで「アパート経営が成功する」という前提の上に成り立っています。
空室や家賃下落、予期せぬ修繕費など、アパート経営には多くのリスクが伴い、節税効果以上に資産を失ってしまう危険性もはらんでいます。「相続税対策のため」という目的だけで安易に飛びつくのではなく、長期的な視点で安定した収益が見込めるか、事業として成り立つかを冷静に判断することが最も重要です。
まずはご家族でしっかりと話し合い、お母様やご自身の将来のライフプランを考えた上で、税理士や信頼できる不動産の専門家など、複数の専門家に相談しながら、慎重に検討を進めることを強くお勧めします。
参考文献
実家の賃貸アパート化による相続対策のよくある質問まとめ
Q. 母名義で借り入れをして実家を賃貸アパートにすると、なぜ相続税対策になるのですか?
A. 現金や更地のまま相続するより、土地は「貸家建付地」、建物は「貸家」として相続税評価額が下がるためです。また、母名義の借入金は債務として相続財産から控除できるため、課税対象額を減らす効果が期待できます。
Q. 借入金の名義は、母と子のどちらが良いのでしょうか?
A. 相続税対策を目的とする場合、将来亡くなる予定の母(被相続人)の名義で借り入れるのが基本です。母の債務として相続財産から差し引く「債務控除」が適用できるためです。子が借り入れると母の債務にはなりません。
Q. 実家を賃貸アパートにした場合、「小規模宅地等の特例」は使えますか?
A. はい、要件を満たせば「貸付事業用宅地等」として200㎡を上限に評価額を50%減額できる可能性があります。ただし、居住用の特例(330㎡まで80%減)に比べると減額割合が小さくなる点には注意が必要です。
Q. 賃貸アパート経営のデメリットや注意点は何ですか?
A. 空室や家賃下落により収益が計画通りにいかないリスク、将来の修繕費や管理費といったコスト、借入金の金利上昇リスクなどが挙げられます。長期的な視点で収支計画を立てることが重要です。
Q. 相続が発生した後、アパートと借入金はどうなりますか?
A. 賃貸アパートはプラスの財産として、借入金はマイナスの財産(債務)として、どちらも相続人が引き継ぎます。相続人はアパート経営を続けながら、借入金の返済も行っていくことになります。
Q. アパート建設以外に、実家の相続対策はありますか?
A. ご状況によりますが、生前贈与、生命保険の活用、実家を売却して現金化し納税資金に備える、といった方法も考えられます。資産全体を見て、複数の対策を組み合わせて検討することが大切です。