「長年にわたり面倒を見てくれた長男に全財産を相続させたい」「他の子どもには、びた一文渡したくない」…そんなお気持ちから、遺言書の作成を考えていらっしゃる方もいるかもしれません。しかし、遺言書に「全財産を〇〇に相続させる」と書くだけでは、他の相続人から財産を完全に守ることはできない可能性があります。なぜなら、法律で保障された「遺留分」という権利があるからです。この記事では、遺言と遺留分の関係、そして遺留分すらも渡さずに相続権を失わせる「相続廃除」という制度について、わかりやすく解説していきます。
遺言書だけでは「遺留分」はなくせない
まず大切なポイントとして、遺言書は万能ではない、ということです。たとえ遺言書で「全財産を特定の一人に相続させる」と指定したとしても、他の法定相続人が持つ「遺留分」という権利を一方的になくすことはできません。
遺留分とは?最低限保障された遺産の取り分
遺留分とは、兄弟姉妹以外の法定相続人に法律で保障されている、最低限の遺産の取り分のことです。これは、遺言書の内容よりも優先される強力な権利です。「遺された家族の生活保障」という目的があるため、被相続人(亡くなった方)の一存で簡単になくすことはできない仕組みになっています。
遺留分が認められている相続人と、その割合は以下の通りです。
| 遺留分権利者 | 遺留分の割合(全体) |
| 配偶者のみ | 遺産の2分の1 |
| 子どものみ | 遺産の2分の1 |
| 親(直系尊属)のみ | 遺産の3分の1 |
| 配偶者と子ども | 遺産の2分の1(配偶者:4分の1, 子:4分の1) |
| 配偶者と親 | 遺産の2分の1(配偶者:3分の1, 親:6分の1) |
※子どもや親が複数いる場合は、上記の割合をさらに人数で分け合います。
重要なのは、被相続人の兄弟姉妹には遺留分がないという点です。そのため、兄弟姉妹に財産を渡したくない場合は、「他の人に全財産を相続させる」という内容の遺言書を作成するだけで目的を達成できます。
「全財産を一人に」という遺言と遺留分侵害額請求
「全財産を長男に相続させる」という遺言書があったとします。この遺言自体は有効です。しかし、この遺言によって、配偶者や他の子どもなど、遺留分を持つ他の相続人の権利が侵害されている状態になります。この場合、権利を侵害された相続人は、財産を多く受け取った長男に対して「遺留分侵害額請求」という権利を行使できます。これは、侵害された遺留分に相当する金額を金銭で支払うよう請求する権利です。
遺留分を請求されたら支払う義務がある
遺留分侵害額請求をされると、財産を受け取った側は、原則としてその支払いを拒否できません。請求された金額が正当なものであれば、その額に相当する金銭を支払う義務が生じます。もし話し合いで解決しない場合は、家庭裁判所での調停や訴訟に発展する可能性もあり、家族間の深刻なトラブルの原因となりかねません。
遺留分ごと相続権を奪う「相続廃除」
「どうしても遺留分すら渡したくない事情がある」という場合に検討されるのが、「相続廃除(そうぞくはいじょ)」という制度です。これは、遺言書で財産を渡さないと指定するだけでなく、家庭裁判所に申し立てて、特定の相続人から相続権そのものを根本的に奪う手続きです。相続廃除が認められれば、その相続人は遺留分を含む一切の相続権を失います。
相続廃除の対象者
相続廃除の対象となるのは、前述の「遺留分を有する推定相続人」に限られます。具体的には、被相続人の配偶者、子ども(やその代襲相続人)、親(直系尊属)です。遺留分のない兄弟姉妹は、そもそも遺言書で相続させないようにすればよいため、相続廃除の対象にはなりません。
相続廃除が認められるための厳しい条件
相続廃除は、相続人の権利を完全に奪う非常に強力な制度のため、家庭裁判所が認めるためのハードルは極めて高いです。単に「親子仲が悪い」「性格が合わない」といった感情的な理由では認められません。民法第892条では、以下のいずれかの理由が必要であると定められています。
- 被相続人に対して虐待をしたとき
- 被相続人に対して重大な侮辱を加えたとき
- その他の著しい非行があったとき
具体的にどのような行為が当てはまるか、見ていきましょう。
| 認められる可能性が高いケース | 内 容 |
| 虐待 | 日常的な暴力によって怪我をさせられた、精神的に追い詰められるほどの暴言を浴びせ続けられたなど。 |
| 重大な侮辱 | 第三者の前で被相続人の名誉を著しく傷つけるような言動を繰り返した、虚偽の事実で犯罪者扱いするなど。 |
| 著しい非行 | 被相続人の財産を勝手に使い込んだり、多額の借金の返済を押し付けたり、重大な犯罪を犯して家族に多大な迷惑をかけたりした場合など。 |
一方で、親子喧嘩でつい手が出てしまった、たまに実家に帰ってこない、などの理由だけでは、相続廃除が認められるのは難しいでしょう。
遺言による相続廃除の手続き
相続廃除は、被相続人が生前に行う「生前廃除」と、遺言書で行う「遺言廃除」の2つの方法があります。ここでは、遺言による相続廃除の手続きの流れを解説します。
遺言書への記載方法(文例)
遺言で相続廃除を行うには、遺言書にその意思を明確に記す必要があります。単に「長男には相続させない」と書くだけでは不十分です。「誰を」「なぜ」廃除したいのか、具体的な事実を記載することが重要です。
【遺言書への記載例】
「遺言者は、長男〇〇(昭和△年△月△日生)を推定相続人から廃除する。なぜなら、長男〇〇は、遺言者に対し、日頃から『早く死ね』などの暴言を吐き、令和×年×月×日には遺言者の預金通帳と印鑑を無断で持ち出し、遺言者の預金500万円をギャンブルに使い込むという著しい非行があったからである。」
遺言執行者の指定が不可欠
遺言による相続廃除で最も重要なのが、遺言執行者を指定しておくことです。遺言廃除の申立ては、被相続人の死亡後、遺言執行者が家庭裁判所に対して行わなければなりません。遺言書で遺言執行者を指定していないと、相続開始後に相続人が家庭裁判所に選任を申し立てる必要があり、手続きが煩雑になってしまいます。スムーズな手続きのためにも、信頼できる人や弁護士などの専門家を遺言執行者に指定しておきましょう。
家庭裁判所での手続きの流れ
被相続人が亡くなった後、遺言執行者は遅滞なく家庭裁判所に「推定相続人廃除の審判申立」を行います。
申立てに必要な主な書類は以下の通りです。
- 推定相続人廃除の審判申立書
- 被相続人の除籍謄本
- 廃除したい推定相続人の戸籍謄本
- 遺言書の写し(または遺言書の検認調書謄本)
申立て後、家庭裁判所は遺言執行者と廃除の対象となる相続人の双方から事情を聞き、提出された証拠などを基に、廃除を認めるかどうかを慎重に審理します。廃除が認められ、審判が確定したら、10日以内に市区町村役場に届け出ることで手続きは完了します。
相続廃除を検討する際の注意点
相続廃除は強力な手段ですが、実行する前に知っておくべき重要な注意点があります。
廃除が認められる確率は非常に低い
繰り返しになりますが、相続廃除が家庭裁判所に認められるハードルは非常に高いです。司法統計によると、申立てが認められる割合は全体の2割程度にとどまっています。申立てを行う際は、虐待や侮辱、非行があったことを客観的に証明する証拠(診断書、写真、録音、第三者の証言など)を、生前のうちからしっかりと準備しておくことが極めて重要です。
廃除された相続人に子がいる場合は「代襲相続」が発生する
相続廃除の効力は、廃除された本人にしか及びません。もし、廃除された相続人に子ども(被相続人から見て孫)がいる場合、その子どもが代わりに相続権を引き継ぎます。これを「代襲相続」といいます。その結果、孫が遺留分を請求してくる可能性は残ります。もし孫にも相続させたくない場合は、その孫自身にも廃除の原因となる事実が必要になります。
「相続欠格」との違いは?
相続廃除とよく似た制度に「相続欠格(そうぞくけっかく)」があります。これは、相続において著しく不法な行為をした者の相続権を、法律上当然に失わせる制度です。
相続欠格に該当するケース
相続欠格となる事由は、相続廃除よりもさらに重大なものに限られます。具体的には以下のような場合です。
- 故意に被相続人や他の相続人を殺害、または殺害しようとして刑に処せられた
- 被相続人が殺害されたことを知りながら、告発や告訴をしなかった
- 詐欺や強迫によって、被相続人の遺言の作成や変更などを妨害した
- 被相続人の遺言書を偽造、変造、破棄、隠匿した
相続廃除と相続欠格の比較
この2つの制度の主な違いをまとめました。
| 相続廃除 | |
| 効力発生の要件 | 被相続人の意思に基づき、家庭裁判所に請求し、審判で認められる必要がある |
| 対象者 | 遺留分を有する推定相続人(配偶者、子、親) |
| 取消し | 被相続人の意思で、いつでも取り消すことが可能 |
| 相続欠格 | |
| 効力発生の要件 | 欠格事由に該当すれば、手続き不要で法律上当然に相続権を失う |
| 対象者 | すべての法定相続人 |
| 取消し | 原則として取り消すことはできない |
まとめ
「全財産を特定の相続人に相続させる」という強い思いがあっても、遺言書を書くだけでは他の相続人の遺留分をなくすことはできません。遺留分も含めた一切の相続権を奪うためには、「相続廃除」という家庭裁判所の手続きが必要ですが、その条件は非常に厳しく、認められるのは簡単ではありません。遺言で相続廃除を行う場合は、廃除の理由となる具体的な事実を記載し、必ず遺言執行者を指定しておくことが不可欠です。生前のうちから専門家に相談し、証拠集めなどの準備を慎重に進めることを強くお勧めします。
参考文献
「全財産を特定の人に」という遺言と遺留分のよくある質問まとめ
Q.「全財産を特定の相続人に相続させる」という遺言で、他の相続人の権利は完全になくなりますか?
A.いいえ、完全にはなくなりません。兄弟姉妹以外の法定相続人には、法律で保障された最低限の取り分である「遺留分」を請求する権利が残ります。
Q.遺言で特定の相続人を「相続排除」できますか?
A.遺言書に相続排除の意思を記すことはできますが、それだけでは効力は生じません。遺言執行者が家庭裁判所に申し立て、認められて初めて相続排除が成立します。
Q.「全財産を一人に相続させる」という遺言と「相続排除」は同じですか?
A.いいえ、違います。全財産を一人に相続させる遺言は財産の分け方を指定するものですが、相続権自体を奪う「相続排除」とは異なります。そのため、他の相続人は遺留分を請求できます。
Q.遺留分とは具体的に何ですか?
A.遺留分とは、兄弟姉妹以外の法定相続人に保障された、最低限の遺産の取り分のことです。遺言の内容に関わらず、この権利を主張することができます。
Q.遺留分は自動的にもらえますか?
A.いいえ、自動的にはもらえません。遺留分を請求する権利を持つ相続人が、財産を多く受け取った人に対して「遺留分侵害額請求」という意思表示をする必要があります。
Q.遺言によって、遺留分を渡さないようにすることは可能ですか?
A.原則として不可能です。遺留分は法律で強く保護された権利だからです。ただし、相続人が生前に家庭裁判所の許可を得て遺留分を放棄した場合など、例外的なケースはあります。