故人が遺してくれた遺言書。その内容は故人の最終的な意思として、何よりも尊重されるべきものです。しかし、中には「この内容では、家族の今後の関係がうまくいかなくなるかもしれない…」と、相続人全員が納得できないケースもあるかもしれません。そんなとき、「遺言書を破棄して、みんなで話し合って遺産を分けられないか?」と考える方もいらっしゃるのではないでしょうか。結論から言うと、遺言書を勝手に破棄することは非常に危険ですが、一定の条件を満たせば、遺言書の内容とは異なる遺産分割協議を行うことが可能です。この記事では、その具体的な方法と、絶対にやってはいけない注意点について、優しく丁寧に解説していきますね。
遺言書と遺産分割協議、どちらが優先されるの?
相続が始まったとき、遺言書と遺産分割協議では、どちらの効力が強いのでしょうか。まずは、この基本的なルールから確認していきましょう。
原則は遺言書の内容が最優先
日本の法律(民法)では、亡くなった方(被相続人)の意思を最大限尊重するという考え方が基本にあります。そのため、法的に有効な遺言書がある場合、その内容が法定相続分よりも優先されます。遺言書は、被相続人が自分の財産を誰に、どのように遺したいかを記した最後のメッセージです。したがって、遺言書が見つかった場合は、原則としてその内容に従って相続手続きを進めることになり、遺産分割協議は不要となります。
なぜ遺言書と違う分割ができるの?
原則は遺言書が優先されるにもかかわらず、なぜ遺言書と異なる内容で遺産分割ができるのでしょうか。それは、残された相続人や財産を受け取る人(受遺者)たちの間で「遺言書の内容とは違う分け方をした方が、みんなにとって円満だ」という合意が形成された場合、その意思もまた尊重されるからです。財産を受け取る権利を持つ人たちが全員で納得しているのであれば、法律もその合意を無効にする必要はない、と考えているのです。ただし、これにはいくつかの重要な条件があります。
税務上の扱いはどうなる?
「遺言書と違う分け方をしたら、遺言で財産をもらうはずだった人から、他の相続人へ贈与したことになって贈与税がかかるのでは?」と心配されるかもしれません。ご安心ください。国税庁の見解では、相続人全員の合意によって遺言書と異なる遺産分割協議が成立した場合、それは贈与ではなく、はじめからその分割内容で相続があったものとして扱われます。そのため、追加で贈与税が課されることはなく、通常の相続税の計算を行うことになります。
遺言書があっても遺産分割協議ができる3つの条件
遺言書がありながらも、相続人同士で話し合って遺産を分けるためには、以下の3つの条件をすべて満たす必要があります。どれか一つでも欠けてしまうと、遺産分割協議は無効になってしまう可能性があるので、しっかり確認してくださいね。
条件1:相続人と受遺者「全員」の同意があること
最も重要な条件が、相続人および受遺者(遺言によって財産を受け取る人)の「全員」が、遺言書とは異なる内容の遺産分割協議に同意することです。ここでのポイントは「全員」という点です。たとえ一人でも「遺言書のとおりにすべきだ」と反対する人がいれば、この方法は使えません。また、遺言書で相続人以外の人(例えば、お世話になった友人や慈善団体など)に財産を遺す「遺贈」が指定されている場合は、その受遺者の同意も必要になることを忘れないようにしましょう。
条件2:遺言で遺産分割が禁止されていないこと
遺言書の中には、「私の死後5年間は、遺産の分割を禁ずる」といったように、遺産分割そのものを一定期間禁止する旨が記載されていることがあります(民法第908条)。これは、例えば事業の承継などを円滑に進めるために設けられることがある規定です。もし、このような遺産分割の禁止条項がある場合は、その期間が経過するまで遺産分割協議を行うことはできません。
条件3:遺言執行者がいる場合はその同意があること
遺言執行者とは、遺言の内容をスムーズに実現するために、遺言書で指定されたり、家庭裁判所で選任されたりする人のことです。遺言執行者には、遺言どおりに手続きを進める強い権限と義務があります。そのため、もし遺言執行者がいる場合には、その遺言執行者の同意を得なければ、遺言書と異なる遺産分割協議を行うことはできません。同意なく進めてしまうと、その遺産分割は無効と判断されるリスクがあります。
遺言書を破棄・隠匿するリスクと罰則
「全員の同意を得るのは難しそうだから、こっそり遺言書を破棄してしまえば…」という考えは絶対にやめてください。遺言書を破棄したり隠したりする行為には、非常に重いペナルティが科せられます。
相続権を失う「相続欠格」とは?
自分に不利益な遺言書を破棄したり、隠したり、あるいは偽造・変造したりする行為は、民法で定められた「相続欠格事由」に該当します。相続欠格になると、その人は相続人としての権利を完全に失います。つまり、1円の財産も相続できなくなってしまうのです。これは、非常に重い罰則であり、一度欠格となるとその権利を回復することはできません。
刑事罰の可能性も
遺言書を破棄する行為は、民事上のペナルティだけでなく、刑法上の「私用文書毀棄罪(しゆうぶんしょききざい)」にあたる可能性もあります。この罪が適用されると、5年以下の懲役が科されることがあります。軽い気持ちで行った行為が、前科がつく事態になりかねないのです。
家庭裁判所での「検認」を怠った場合の罰則
見つかった遺言書が「自筆証書遺言」や「秘密証書遺言」であった場合、その遺言書を勝手に開封してはいけません。家庭裁判所に提出して、「検認」という手続きを受ける必要があります。検認とは、遺言書の形状や状態を確認し、偽造や変造を防ぐための手続きです。この検認手続きを怠ったり、家庭裁判所の外で勝手に開封したりすると、5万円以下の過料(罰金のようなもの)に処せられる可能性があります。
| 遺言書の種類 | 検認の要否 |
|---|---|
| 自筆証書遺言(法務局保管制度を利用していないもの) | 必要 |
| 秘密証書遺言 | 必要 |
| 公正証書遺言 | 不要 |
| 自筆証書遺言(法務局保管制度を利用したもの) | 不要 |
遺言書と異なる遺産分割協議を行う際の流れ
条件を満たし、実際に遺言書とは違う内容で遺産分割協議を行う場合の、具体的なステップを見ていきましょう。
ステップ1:遺言書の内容と相続人・財産の確認
まずは、遺言書の内容を正確に把握します。誰が相続人で、誰が受遺者なのか。そして、遺産の全体像(預貯金、不動産、有価証券、借金など)をしっかりと調査し、財産目録を作成しましょう。この最初のステップが、後の協議の土台となります。
ステップ2:相続人・受遺者全員での話し合い
相続人と受遺者全員が参加する形で、話し合いの場を設けます。なぜ遺言書の内容と異なる分割をしたいのか、どのような分割案を考えているのか、全員が納得できるまで丁寧に話し合いを進めることが大切です。
ステップ3:遺産分割協議書の作成
全員の合意が得られたら、その内容を「遺産分割協議書」という書面にまとめます。誰がどの財産をどれだけ取得するのかを明確に記載し、相続人全員が署名し、実印を押印します。この遺産分割協議書が、後の不動産登記や預貯金の名義変更手続きで必要となる重要な書類です。
ステップ4:各種名義変更手続き
完成した遺産分割協議書と、戸籍謄本や印鑑証明書などの必要書類を使って、不動産の名義変更(相続登記)や、銀行預金の解約・名義変更などの手続きを進めていきます。
どうしても合意できない場合の対処法
相続人の中には、どうしても遺言書の内容に納得できない、あるいは他の相続人との話し合いに応じてもらえないという方もいるかもしれません。そのような場合の対処法も知っておきましょう。
遺言の無効を主張する
遺言書そのものの有効性に疑問がある場合は、「遺言無効確認調停」や「遺言無効確認訴訟」を家庭裁判所に申し立てることができます。例えば、以下のようなケースでは遺言が無効になる可能性があります。
- 遺言書作成時に、本人が認知症などで遺言能力がなかった場合
- 自筆証書遺言の日付や署名、押印がないなど、法律で定められた形式を守っていない場合
- 二人以上の人が共同で作成した遺言書である場合
- 詐欺や脅迫によって書かされた遺言書である場合
遺言が無効と認められれば、その遺言書はなかったことになり、法定相続人全員で遺産分割協議を行うことになります。
遺留分を請求する
遺言が無効にならない場合でも、法律で保障された最低限の遺産の取り分である「遺留分」を請求する方法があります。遺留分が認められているのは、配偶者、子(またはその代襲相続人)、直系尊属(父母や祖父母)です。兄弟姉妹には遺留分はありません。「全財産を長男に相続させる」といった遺言があっても、他の子たちは自身の遺留分に相当する金額を、財産を多く受け取った長男に対して請求することができます。この権利を「遺留分侵害額請求権」といい、相続の開始と遺留分を侵害する贈与や遺贈があったことを知った時から1年以内に行使する必要があります。
| 遺留分権利者 | 総体的遺留分 |
|---|---|
| 直系尊属(父母など)のみが相続人 | 遺産総額の3分の1 |
| 上記以外の場合(配偶者や子など) | 遺産総額の2分の1 |
※上記の割合を、法定相続分に応じて按分したものが個人の遺留分となります。
まとめ
故人の意思が込められた遺言書は、原則として最優先されます。しかし、残された家族が円満に相続手続きを進めるために、相続人や受遺者全員が心から納得できるのであれば、遺言書とは異なる内容で遺産分割協議を行うことも可能です。
大切なのは、決して遺言書を勝手に破棄したり隠したりしないことです。そのような行為は、ご自身の相続権を失うだけでなく、刑事罰の対象にもなりかねません。
もし、遺言書の内容に納得がいかなかったり、相続人間での話し合いが難しかったりする場合には、一人で悩まずに弁護士や司法書士などの専門家に相談することをおすすめします。きっと、あなたとご家族にとって最も良い解決策を見つける手助けをしてくれるはずです。
参考文献
遺言書と遺産分割協議に関するよくある質問まとめ
Q.遺言書がある場合でも、遺産分割協議はできますか?
A.はい、相続人全員の同意があれば、遺言書の内容と異なる遺産分割協議を行うことが可能です。
Q.遺言書を物理的に破棄しても良いですか?
A.いいえ、遺言書を勝手に破棄すると、法律上の罰則が科されたり、相続権を失う可能性があります。遺言書は家庭裁判所で検認手続きが必要です。
Q.遺言書の内容と異なる遺産分割協議を行うには、何が必要ですか?
A.相続人全員と受遺者(遺言で財産を受け取る人)全員の同意が必要です。全員の合意内容を記した遺産分割協議書を作成し、全員が署名・捺印します。
Q.公正証書遺言でも、内容を無視して遺産分割協議はできますか?
A.はい、公正証書遺言であっても、相続人および受遺者全員の同意があれば、遺言の内容とは異なる遺産分割協議を行うことができます。
Q.遺言執行者がいる場合はどうなりますか?
A.遺言執行者がいる場合、その執行者の同意も必要になるのが一般的です。遺言執行者は遺言内容を実現する義務があるため、事前に相談し、同意を得ることが重要です。
Q.遺言書を無視して協議する際の注意点は何ですか?
A.全員の明確な同意を得ること、後々のトラブルを避けるために遺産分割協議書を作成すること、そして遺贈がある場合は受遺者の同意も必須である点に注意が必要です。