ご家族の中に認知症の方がいらっしゃるとき、相続が起こると「遺産分割協議はどう進めたらいいの?」「財産の分け方で不利にならないか心配…」といった不安を抱える方は少なくありません。特に、成年後見人を立てた場合、財産の評価をどの基準で行うのかは非常に重要なポイントです。この記事では、認知症の相続人がいるケースでの遺産分割協議における財産評価の基準について、優しく、分かりやすく解説していきますね。
成年後見人がいる遺産分割協議の基本
相続人の中に認知症などで判断能力が不十分な方がいる場合、その方を抜きにして遺産分割協議を進めることはできません。たとえ他の相続人全員で合意したとしても、その協議は法的に無効になってしまいます。そこで必要になるのが「成年後見制度」の利用です。
なぜ成年後見人が必要なの?
遺産分割協議は、相続人全員の合意によって財産の分け方を決める「法律行為」です。そのため、参加する相続人全員に「自分の行っていることの意味を理解できる能力(意思能力)」が必要とされます。認知症が進行し、この意思能力がないと判断される場合、ご本人の代わりに法律行為を行う代理人が必要になります。それが成年後見人です。
家庭裁判所に申し立てを行い、選任された成年後見人が、ご本人に代わって遺産分割協議に参加することになります。
成年後見人の大切な役割
成年後見人の最も重要な役割は、「ご本人(被後見人)の財産を守ること」です。遺産分割協議においては、他の相続人の都合や意向に流されることなく、ご本人が法律で定められた権利(法定相続分)をきちんと確保できるように努めなければなりません。もし、ご本人の法定相続分を侵害するような不利な内容の遺産分割協議案であれば、成年後見人は同意することができないのです。
家庭裁判所の監督
成年後見人が行う遺産分割協議の内容は、家庭裁判所の監督下にあります。特に、ご本人が取得する財産が法定相続分よりも少なくなるようなケースでは、家庭裁判所の許可が必要になることもあります。成年後見人は、なぜその分割内容がご本人にとって不利益ではないのかを、合理的に説明する責任を負っているのです。
財産評価「時価」と「相続税評価額」の違い
遺産分割を公平に行うためには、遺産に含まれる不動産などの財産をいくらと評価するのかが非常に重要になります。この評価額をめぐって、相続人間で意見が対立することも少なくありません。特に、成年後見人が関わる場合は、どの評価基準を使うのかが協議の行方を左右します。
主な不動産の評価方法
不動産の評価方法には、主に以下の3つがあり、それぞれ金額が異なります。どの評価額を使うかによって、各相続人の取得分が大きく変わってきます。
評価方法 | どのような価格か |
時価(実勢価格) | 実際に市場で売買されるときに付くであろう価格です。最も客観的で公平な財産価値とされています。 |
相続税評価額(路線価) | 相続税を計算するために国税庁が定めた土地の評価額です。一般的に時価の約80%が目安とされています。 |
固定資産税評価額 | 固定資産税を計算するために市町村が定めた評価額です。一般的に時価の約70%が目安とされています。 |
なぜ評価方法で揉めるの?
例えば、相続人が長男と次男の2人で、遺産が「実家の土地(長男が取得希望)」と「預金2,000万円」だったとしましょう。土地を高く評価すれば、土地をもらう長男は次男に多くの代償金を支払うか、預金の取り分が減ります。逆に土地を低く評価すれば、長男の負担は軽くなります。このように、誰がどの財産を取得するかによって、それぞれの利害が対立してしまうのです。
成年後見人がいる場合、有利不利の判断は「時価」が原則
ここが最も重要なポイントです。成年後見人が、ご本人にとって有利か不利かを判断する場合、その基準は「時価(実勢価格)」でなければなりません。家庭裁判所も、財産の客観的な価値である時価を基準に判断します。
なぜ相続税評価額ではダメなの?
相続税評価額は、あくまで「相続税の計算」という行政目的のために用いられる評価額です。実際にその不動産が持つ財産価値そのものではありません。もし相続税評価額を基準に遺産分割を行うと、ご本人が本来受け取れるはずの財産価値よりも少ない額しか受け取れない可能性が高くなります。これは、成年後見人の「本人の財産を守る」という義務に反することになってしまうのです。
時価を調べる具体的な方法
では、どうやって客観的な「時価」を調べればよいのでしょうか。主な方法は2つあります。
- 複数の不動産会社による査定
無料で依頼でき、手軽な方法です。ただし、会社によって査定額にばらつきが出ることがあります。公平性を保つため、2~3社から査定書を取得するのが望ましいでしょう。 - 不動産鑑定士による鑑定評価
費用が数十万円かかりますが、国家資格者による最も客観的で信頼性の高い評価です。遺産分割調停や審判に発展した場合や、成年後見人が家庭裁判所に報告する際には、この鑑定評価書の提出を求められることがほとんどです。
具体例でシミュレーション!評価額でこんなに違う
評価額の違いがどれほど影響するのか、具体的な数字で見てみましょう。
【設定】
・相続人:長男、次男(認知症で成年後見人あり)
・遺産:実家不動産、預金4,000万円
・不動産の評価:時価6,000万円、相続税評価額4,800万円
・分割方法:長男が不動産を相続し、次男は預金と代償金を取得する
時価(6,000万円)を基準に分割した場合
遺産総額は、不動産6,000万円+預金4,000万円=1億円です。
法定相続分(1/2)は、それぞれ5,000万円ずつとなります。
- 長男:不動産(6,000万円)を取得する代わりに、次男へ代償金1,000万円を支払う。
→ 実質取得額:6,000万円 – 1,000万円 = 5,000万円
- 次男:預金4,000万円 + 長男からの代償金1,000万円を取得する。
→ 実質取得額:4,000万円 + 1,000万円 = 5,000万円
この場合、次男は法定相続分である5,000万円を確保できるため、成年後見人はこの分割案に同意できます。
相続税評価額(4,800万円)を基準に分割した場合
遺産総額は、不動産4,800万円+預金4,000万円=8,800万円と計算されます。
この場合の取得分(1/2)は、それぞれ4,400万円ずつとなります。
- 長男:不動産(評価額4,800万円)を取得する代わりに、次男へ代償金400万円を支払う。
- 次男:預金4,000万円 + 長男からの代償金400万円を取得する。
→ 実質取得額:4,400万円
一見公平に見えますが、次男が取得した財産は4,400万円です。これは時価を基準とした場合の法定相続分5,000万円より600万円も少ないことになります。これではご本人の財産を不当に減らすことになるため、成年後見人はこの分割案に同意することはできません。
遺産分割協議書作成のポイント
成年後見人が参加する遺産分割協議がまとまったら、その内容を遺産分割協議書に正確に記載する必要があります。
財産評価の根拠を明記する
協議書には、不動産の評価にあたり、どの基準(例:「不動産鑑定士〇〇作成の令和〇年〇月〇日付不動産鑑定評価書記載の価格〇〇円」など)を用いたかを具体的に記載しましょう。その根拠となる鑑定評価書や査定書のコピーを協議書に添付すると、より明確になります。
成年後見人としての署名・捺印
遺産分割協議書の署名欄には、ご本人の氏名と住所を記載した上で、次のように成年後見人としての立場で署名・捺印します。
(例)
上記 相続人 〇〇 〇〇(本人の氏名)
上記成年後見人 △△ △△(後見人の氏名) 実印
成年後見人の実印と印鑑証明書が必要となります。
まとめ
相続人に認知症の方がいる場合、遺産分割協議を適切に進めるためには、成年後見制度の理解が不可欠です。そして、成年後見人がご本人の財産を守るために行う遺産分割の「有利・不利」の判断は、税金計算のための相続税評価額ではなく、実際の財産価値を示す「時価」を基準に行われるのが大原則です。
相続人同士の話し合いをスムーズに進め、後々のトラブルを防ぐためにも、不動産鑑定士などの専門家による客観的な時価評価を取得し、それに基づいて誠実に協議を進めることが、円満な相続への一番の近道といえるでしょう。
参考文献
成年後見人がいる遺産分割協議での財産評価に関するよくある質問まとめ
Q.相続人に認知症の人がいる場合、なぜ成年後見人が必要になるのですか?
A.遺産分割協議は法律行為にあたるため、認知症などにより判断能力が不十分な方は参加できません。そのため、家庭裁判所が選任した成年後見人がご本人に代わって協議に参加し、不利な内容で合意することがないよう財産を守るために必要となります。
Q.成年後見人が遺産分割で財産の有利・不利を判断する際、評価基準は相続税評価額ですか、時価ですか?
A.原則として、実際の取引価格に近い「時価」を基準に判断します。相続税評価額はあくまで税金計算上の評価であり、財産の実際の価値とは乖離がある場合が多いため、ご本人の財産を実質的に守る観点から時価が重視されます。
Q.なぜ相続税評価額ではなく、時価で判断する必要があるのですか?
A.例えば、相続税評価額が同じ不動産でも、立地や需要によって時価は大きく異なります。もし評価額ベースで分割すると、認知症のご本人が実質的に価値の低い財産を取得してしまい、不利益を被る可能性があるため、時価での公平な判断が求められます。
Q.成年後見人は、認知症の人の法定相続分より少ない財産で合意することもできますか?
A.原則としてできません。成年後見人の役割は、ご本人の財産を保護することです。そのため、少なくとも法定相続分に相当する価値(時価ベース)の財産を確保することが基本となります。これより不利な内容で合意するには、家庭裁判所の特別な許可が必要になります。
Q.不動産の時価はどのように調べればよいのでしょうか?
A.客観的な時価を把握するため、複数の不動産会社に査定を依頼する方法が一般的です。より正確な評価が必要な場合や、相続人間で意見が分かれる場合には、不動産鑑定士による鑑定評価書を取得することもあります。
Q.他の相続人が相続税評価額での分割を主張してきた場合、どうなりますか?
A.成年後見人は、ご本人の代理人として、なぜ時価で評価する必要があるのかを法的な観点から他の相続人に説明し、交渉します。協議がまとまらない場合は、家庭裁判所での遺産分割調停や審判手続きに移行し、裁判所の判断を仰ぐことになります。