ひとり暮らしの親族が認知症になり、施設の入所契約や預金の解約が必要になったものの、手続きを進められる家族が誰もいない。そうした場面で登場するのが区長申立てです。「聞いたことはあるけれど、誰がどんなときに使う制度なのか分からない」と戸惑う方は少なくありません。
区長申立てとは、成年後見制度における市区町村長申立てのことを指す一般的な呼び方です。本人に身寄りがない、あるいは親族の協力を得ることが難しいといった事情で家族による申立てが期待できないとき、市区町村長が本人に代わって家庭裁判所に後見等の開始を申し立てます。東京23区のような特別区では区長が申立人になるため、実務では「区長申立て」と呼ばれています。
この記事では、税理士法人プライムパートナーズが、区長申立ての法的な根拠、申立てができる人の範囲、要件、手続きの流れ、費用と負担者、そして相続・生前対策との関係までを整理してご説明します。判断能力が失われてから慌てるのではなく、元気なうちに何ができるのかを考えるきっかけにしていただければ幸いです。
区長申立て(市区町村長申立て)とは
区長申立てとは、判断能力が不十分になった方について、市区町村長が家庭裁判所に対して後見・保佐・補助の開始の審判を請求する制度です。本来、成年後見の開始を申し立てるのは本人や配偶者、親族などですが、それが期待できない場合に備えて、福祉行政を担う市区町村長にも申立ての権限が与えられています。老人福祉法は、市町村長が65歳以上の方について、その福祉を図るため特に必要があると認めるときに審判の請求ができると定めていますe-Gov法令検索 老人福祉法第32条。
ここでいう「後見等の開始の審判」とは、本人を法律的に支援する人を家庭裁判所に選んでもらう手続きのことです。審判が確定すると成年後見人・保佐人・補助人が選ばれ、本人に代わって預貯金の管理や契約の締結、遺産分割協議への参加などを行えるようになります。つまり区長申立ては、身寄りのない方の生活と財産を守るための「入口」を行政が開く仕組みだとお考えください。
区長申立てと呼ばれる理由
法律の条文に書かれているのは「市町村長」であり、「区長」という言葉はどこにも出てきません。それでも区長申立てと呼ばれるのは、地方自治法が、他の法令の市に関する規定を特別区にも適用すると定めているためですe-Gov法令検索 地方自治法第283条。東京23区にお住まいの方については、区長が市町村長と同じ立場で家庭裁判所に申立てを行います。
したがって、区長申立てと市区町村長申立て、首長申立てはいずれも同じ制度を指す呼び名です。港区にお住まいなら港区長、世田谷区にお住まいなら世田谷区長が申立人になる、というだけの違いにすぎません。本人が住民票を置いている自治体の長が窓口になる、と覚えておくと分かりやすいはずです。
制度の根拠となる三つの法律
市区町村長による申立ての根拠は、本人の状態に応じて三つの福祉法に分かれて置かれています。いずれの条文も「その福祉を図るため特に必要があると認めるとき」という同じ要件を掲げており、高齢・知的障害・精神障害のどの入口からでも制度につながるよう設計されています。
| 根拠となる法律 | 対象となる方 |
|---|---|
| 老人福祉法第32条 | 65歳以上の方 |
| 知的障害者福祉法第28条 | 知的障害のある方 |
| 精神保健及び精神障害者福祉に関する法律 第51条の11の2 |
精神障害のある方 |
知的障害のある方については知的障害者福祉法がe-Gov法令検索 知的障害者福祉法第28条、精神障害のある方については精神保健福祉法がe-Gov法令検索 精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第51条の11の2、それぞれ市町村長の請求権を定めています。65歳以上で認知症が進んだ方であれば老人福祉法が入口になるため、実際に多いのはこのパターンです。
申立てができる人と市区町村長申立ての位置づけ
家庭裁判所に申立てができる人
後見開始の審判を請求できるのは、民法上、本人・配偶者・四親等内の親族・未成年後見人・未成年後見監督人・保佐人・保佐監督人・補助人・補助監督人・検察官と定められていますe-Gov法令検索 民法第7条。四親等内の親族には、子や孫、兄弟姉妹のほか、おじ・おば、いとこ、甥・姪までが含まれますので、思っているより範囲は広いといえます。任意後見契約が登記されている場合は、任意後見受任者や任意後見監督人も申立てができます。
市区町村長は、この民法の一覧には登場しません。福祉三法が別途、市町村長にも同じ審判の請求権を与えているという構造です。市区町村長申立ては、親族による申立てを補うために用意された例外的なルートだと理解しておくと、後述する要件の意味もつかみやすくなります。
関連コラム親が認知症かも?法定後見制度とは?申立て手続きと任意後見との違いを解説▸
統計から見た市区町村長申立ての位置
例外的なルートとはいえ、件数は決して少なくありません。最高裁判所の集計によれば、令和7年1月から12月までに終局した成年後見関係事件のうち、市区町村長が申し立てたものは10,139件で、申立人全体の約23.7%を占めています裁判所 成年後見関係事件の概況。これは本人自身による申立ての約24.8%に次いで多く、本人の子による申立ての約18.5%を上回る水準です。
同じ期間の成年後見関係事件の申立件数は合計43,159件で、前年の41,841件から約3.2%増えました。単身高齢世帯が増え続けている以上、家族に頼れない方の手続きを行政が引き受ける場面は、今後さらに増えていくと考えられます。区長申立ては、もはや珍しい特例ではなく、およそ4件に1件を占める主要な入口になっているのです。
市区町村長申立てが行われる要件
条文上の要件はきわめてシンプルで、本人の福祉を図るため特に必要があると認めるときという一点に集約されます。老人福祉法であれば65歳以上であること、知的障害者福祉法であれば知的障害のある方であること、という対象者の枠が加わるだけです。逆にいえば、この「特に必要」の判断は市区町村の福祉部門に委ねられており、機械的に決まるものではありません。
実務で市区町村長申立てが検討されるのは、本人に配偶者も子もおらず親族が見当たらないケース、戸籍をたどって親族が判明しても長年連絡が途絶えており協力が得られないケース、親族による経済的虐待が疑われるケースなどです。地域包括支援センターやケアマネジャー、病院の相談員から自治体に相談が入り、そこから調査が始まる流れが一般的です。「親族がいない」ことだけが条件ではなく、「親族による申立てが期待できない」ことが実質的な判断基準になります。
なお、お子さんがいる場合でも、遠方に住んでいる、高齢や病気で手続きが難しい、長期間交流がないといった事情があれば、市区町村長申立てが選択されることはあります。ただし親族の意向確認は原則として行われるため、まずはご家族で対応できないかを検討するのが順序です。
後見・保佐・補助の三類型
成年後見制度は、本人の判断能力の程度に応じて三つの類型に分かれています。区長申立てであっても親族の申立てであっても、この区分は変わりません。どの類型で申し立てるかは、医師の診断書をもとに家庭裁判所が判断します。
| 類型 | 対象となる方の状態 |
|---|---|
| 後見 | 判断能力が欠けているのが通常の状態の方 |
| 保佐 | 判断能力が著しく不十分な方 |
| 補助 | 判断能力が不十分な方 |
後見の場合は成年後見人が選ばれ、本人の財産に関するすべての法律行為を本人に代わって行えます。保佐では保佐人、補助では補助人が選ばれ、支援できる範囲は後見より限定されます裁判所 成年後見制度(後見・保佐・補助)の概要を知りたい方へ。認知症が進行して日常的な金銭管理も難しい状態であれば後見、買い物程度はできるが不動産の売買は不安という状態であれば保佐や補助が想定されます。
手続きの流れ
区長申立ては、市区町村の福祉部門による事前の調査から始まります。親族の有無を戸籍で確認し、親族がいる場合は申立ての意思があるかを照会したうえで、申立てが必要と判断されて初めて家庭裁判所への書類作成に進みます。この事前調査に数か月かかることも珍しくありません。
- 地域包括支援センターや医療機関から市区町村へ相談が寄せられる
- 市区町村が本人の状況と親族の有無を調査し、親族へ意向照会を行う
- 市区町村長が申立人として本人の住所地の家庭裁判所に申立書を提出する
- 家庭裁判所調査官が本人や関係者と面談し、必要に応じて医師の鑑定を実施する
- 家庭裁判所が後見等の開始と後見人等の選任を審判する
- 審判が確定し、法務局に後見登記がされる
家庭裁判所に申立てをしてから審判までは、おおむね1か月から2か月程度が目安です。実際、令和7年に終局した成年後見関係事件のうち、2か月以内に終局したものは全体の約71.1%を占めています。鑑定が行われる場合はさらに期間が必要ですが、鑑定を実施した事件は全体の約3.4%にとどまっており、多くは診断書の内容をもとに判断されています。
注意していただきたいのは、いったん申立てをすると、家庭裁判所の許可を得なければ取り下げられないという点です。「思っていた人が後見人に選ばれなかったから取り下げたい」という理由は通りません。申立ての段階で、その後の見通しまで含めて考えておく必要があります。
費用の内訳と負担者
後見開始の申立てにかかる費用は、次のとおりです。区長申立てであっても、家庭裁判所に納める金額そのものは親族が申し立てる場合と変わりません裁判所 後見開始。
| 申立手数料 | 収入印紙800円分 |
|---|---|
| 登記手数料 | 収入印紙2600円分 |
| 連絡用の郵便料 | 裁判所ごとに異なるため申立先に確認が必要 |
| 鑑定費用 | 鑑定を行う場合に申立人が負担 |
| 必要書類の取得費用 | 戸籍謄本・住民票・診断書などの実費 |
収入印紙で納める分だけを取り出すと、次の金額になります。
鑑定を行う場合の費用は、令和7年の統計では5万円以下が約43.7%、10万円以下までを含めると約85.8%となっています。鑑定が必要になるのは一部の事件に限られますので、多くのケースでは印紙代と郵便料、書類の取得実費で収まると考えてよいでしょう。
負担者については、申立てにかかる費用は申立人である市区町村がいったん負担するのが基本です。そのうえで、本人に十分な資力がある場合には、家庭裁判所の判断で本人の財産から支出される取扱いもあります。また、後見人等に対する報酬は家庭裁判所が金額を決定し、本人の財産から支払われます。
費用を負担できない方のために、市区町村が費用を助成する仕組みも用意されています。障害のある方については、市町村が地域生活支援事業として、成年後見制度の利用に要する費用の補助を受けなければ利用が困難な方に対し、その費用を支給する事業を行うものとされていますe-Gov法令検索 障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律第77条。高齢の方について同様の助成が受けられるかどうかは自治体ごとに運用が異なりますので、お住まいの市区町村の高齢福祉窓口にご確認ください。
関連コラム認知症で成年後見人を立てる費用は誰が負担?申立てから報酬まで解説▸
相続のご質問、まずは無料相談
税理士法人プライムパートナーズ
無料相談はこちら▸
メリットと注意点
区長申立てで得られるもの
最大のメリットは、家族がいなくても本人の財産と生活を法的に守れることです。後見人が選任されれば、凍結されていた預金口座から施設利用料や医療費を支払えるようになり、必要に応じて自宅の売却や賃貸借契約の解約も家庭裁判所の許可を得て進められます。本人が不利な契約を結んでしまった場合に取り消せる点も、消費者被害を防ぐうえで大きな意味を持ちます。
また、申立ての準備を市区町村が担ってくれるため、遠方に住む親族が戸籍集めや書類作成に追われずに済むという実務上の利点もあります。親族側から「協力はできないが手続きは必要だと思う」という場面で、行政が調整役に入ってくれるのは心強いはずです。
利用前に押さえておきたい注意点
一方で、成年後見制度そのものの性質から生じる制約は、区長申立てでも変わりません。まず、後見等が開始されると、きっかけとなった手続きが終わっても、本人の判断能力が回復するか本人が亡くなるまで続きます。遺産分割を終えたので後見をやめたい、という理由での終了はできません。
次に、後見人には申立書に書かれた候補者が必ず選ばれるわけではなく、事案に応じて弁護士・司法書士・社会福祉士などの専門職が選任されます。令和7年の統計では、親族以外が成年後見人等に選任されたものが全体の約83.6%を占めており、親族が選ばれたのは約16.4%にとどまります。区長申立ての場合は本人に身近な親族がいないケースが多いため、専門職が選ばれる可能性はさらに高くなると考えられます。
そして、専門職が後見人になれば、家庭裁判所が決めた報酬が本人の財産から継続して支払われます。財産の規模にもよりますが、この負担が長期にわたって続く点は、制度を利用する前に必ず知っておいていただきたいところです。
相続・生前対策との関係
判断能力を失った相続人がいると遺産分割が止まる
相続の実務で区長申立てが問題になるのは、相続人の中に判断能力を失った方がいると、遺産分割協議が進められなくなるからです。遺産分割協議は相続人全員の合意によって成立するため、認知症で意思表示ができない相続人が一人でもいると、他の相続人だけで話し合っても法律上は無効になります。結果として、預金の払い戻しも不動産の名義変更もできないまま時間だけが過ぎていきます。
この状況を打開するには、判断能力を失った相続人について後見等を開始し、後見人に協議へ参加してもらう必要があります。実際、令和7年の統計では、主な申立ての動機として相続手続が10,909件、終局事件全体の約25.6%を占めており、預貯金等の管理・解約、身上保護などに続く主要な理由になっています。相続税の申告期限は相続開始を知った日の翌日から10か月ですから、後見の手続きに数か月を要することを踏まえると、着手の遅れがそのまま申告の遅れに直結しかねません。
元気なうちに選べる備え
区長申立ては、あくまで判断能力が失われてしまった後の「事後対応」です。ご本人やご家族の意向を反映させたいのであれば、判断能力があるうちに任意後見契約や家族信託を検討しておくほうが、選択肢は格段に広がります。任意後見であれば支援してほしい人を自分で指名できますし、家族信託であれば自宅や賃貸物件の管理・処分の道筋をあらかじめ設計できます。
また、認知症が進むと預金口座が事実上使えなくなり、生活費や介護費用の支払いに困る場面が出てきます。生前贈与や生命保険の活用、代理人カードの準備といった対策も、判断能力があるうちでなければ実行できません。「まだ元気だから大丈夫」という時期こそが、対策を打てる唯一のタイミングだとお考えいただければと思います。
まとめ
区長申立て(市区町村長申立て)は、老人福祉法・知的障害者福祉法・精神保健福祉法に基づき、市区町村長が家庭裁判所に後見等の開始を申し立てる制度です。本人の福祉を図るため特に必要があると認められる場合に用いられ、令和7年には申立人全体の約23.7%を占めるまでになっています。身寄りのない方の生活と財産を守る、社会に不可欠な仕組みだといえます。
その一方で、後見が始まれば本人が亡くなるまで続き、後見人には専門職が選ばれることが多く、報酬も本人の財産から支払われます。相続の場面では、判断能力を失った相続人がいるだけで遺産分割協議が止まり、相続税の申告期限にも影響します。だからこそ、判断能力があるうちに任意後見や家族信託、贈与といった選択肢を比べておくことが、ご本人とご家族双方の負担を軽くします。
制度の要件や費用は本人の状況によって結論が変わりますので、具体的なケースについては税理士・専門家へのご相談をおすすめします。当事務所では、認知症への備えから相続税申告までを一貫してお手伝いしています。
お問い合わせはこちら ▸参考文献
- e-Gov法令検索 老人福祉法第32条
- e-Gov法令検索 知的障害者福祉法第28条
- e-Gov法令検索 精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第51条の11の2
- e-Gov法令検索 民法第7条
- e-Gov法令検索 地方自治法第283条
- e-Gov法令検索 障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律第77条
- 裁判所 成年後見制度(後見・保佐・補助)の概要を知りたい方へ
- 裁判所 後見開始
- 裁判所 成年後見関係事件の概況
区長申立てのよくある質問まとめ
Q. 区長申立てとは何ですか。
A. 成年後見制度における市区町村長申立てのことです。本人の福祉を図るため特に必要があると認めるときに、市区町村長が家庭裁判所へ後見・保佐・補助の開始を申し立てます。東京23区などの特別区では区長が申立人になるため区長申立てと呼ばれます。
Q. 区長申立てと市区町村長申立ては違う制度ですか。
A. 同じ制度です。法律の条文は市町村長と定めていますが、地方自治法により市に関する規定が特別区にも適用されるため、特別区では区長が申立人になります。首長申立てという呼び方も同じ意味です。
Q. 子や兄弟がいても区長申立てはできますか。
A. できる場合があります。親族がいても、遠方に住んでいる、長年連絡が取れない、高齢や病気で手続きが難しいなどの事情で申立てが期待できないときは検討されます。ただし市区町村は原則として親族へ意向を確認したうえで判断します。
Q. 区長申立ての費用は誰が負担しますか。
A. 申立手数料800円分と登記手数料2600円分の収入印紙、郵便料などは、申立人である市区町村がいったん負担するのが基本です。本人に資力がある場合は家庭裁判所の判断で本人の財産から支出されることもあります。
Q. 区長申立てで選ばれる後見人は親族ですか。
A. 多くは親族以外です。令和7年の統計では成年後見人等の約83.6%が親族以外で、弁護士・司法書士・社会福祉士などの専門職が選任されています。区長申立ては身寄りのない方が多いため、専門職が選ばれる可能性は高くなります。
Q. 後見が始まったら途中でやめられますか。
A. 原則としてできません。きっかけとなった遺産分割や預金解約が終わっても、本人の判断能力が回復するか本人が亡くなるまで続きます。家族の意思や本人の希望だけで終了させることはできない点に注意が必要です。